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広島高等裁判所 平成4年(ネ)197号 判決 1999年9月30日

控訴人 中島三香子 ほか三名

被控訴人 国 ほか二名

代理人 勝山浩嗣 清水茂 ほか五名

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らは、連帯して、控訴人中島三香子に対し七七二五万円、控訴人中島敦子及び控訴人中島由布子に対し各三七六二万五〇〇〇円、控訴人中島時子に対し五五〇万円並びにこれらに対する昭和六〇年七月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

原判決の「第二 当事者の主張」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。ただし、原判決の右記載につき、次のとおり付加訂正する。

1  五枚目裏九行目の「進行左側」を「進行方向左側」と改め、同末行から六枚目表一行目にかけての「「コンヤ地獄」と呼ばれる」を削除する。

2  一一枚目表九行目の「三〇メートル」を「約三〇メートル」と改める。

3  一二枚目表六行目の「その噴気孔が」を「その噴気孔ないしはそれを中心とする付近一帯が」と、同七行目の「噴気孔ごとに」を「右のような噴気孔等ごとに」と同裏八行目から九行目にかけての「高い」を「重い」とそれぞれ改める。

4  一三枚目表一〇行目の「コンヤ地獄」を「湯溜まりII」と改め、同末行の「見えるため、」の後に「湯溜まりIIがある場所付近は」を加え、同裏二行目の「コンヤ地獄」を「湯溜まりIIやその付近の他の湯溜まり」と、同四行目の「前記のとおり、」から同六行目の「コンヤ川沿いに」までを「コンヤ地獄から噴出した有毒ガスやコンヤ地獄の上流付近から噴出しコンヤ地獄に」と、同九行目の「前記のとおり、」から同一〇行目末尾までを「右に記載したとおり、湯溜まりIIは、このコンヤ地獄の中に存在している。」とそれぞれ改める。

5  一五枚目表六行目から七行目にかけての「コンヤ地獄は古来から露天風呂として利用されてきていること、」を「コンヤ地獄には古来から露天風呂として利用されてきた湯溜まりがあったこと、」と改める。

6  一六枚目表七行目の「湯溜まりII」を「湯溜まりII付近」と改める。

7  二〇枚目裏一行目から二行目にかけての「木柱Iと同様の文言が彫り込まれた木柱IIが立っていること」を「木柱Iと同様の木柱IIが立っていること、木柱IIにも木柱Iと同様の文言が彫り込まれていること、」と、同五行目の「湯溜まりII」を「湯溜まりI」と、同九行目の「コンヤ地獄」を「コンヤ地獄内の湯溜まり」とそれぞれ改める。

8  二二枚目表九行目冒頭から一〇行目末尾までを「仮に遊歩道外に出ることがあっても、湯溜まりII付近のような低地に降りなければ、そのことのみでは危険がなく、特に英夫のように湯溜まりIIに入浴するという行動がなければ危険性は極めて少ない。」と改める。

理由

第一控訴人らの身分関係

<証拠略>によれば、控訴人中島三香子は亡英夫の妻、同中島敦子はその長女、同中島由布子はその二女、同中島時子はその母であることが認められる。

第二本件事故の発生

原判決の「二 本件事故の発生」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。ただし、右記載につき次のとおり付加訂正する。

1  二五枚目表六行目の「成立に争いのない」から同一〇行目の「各証言」までの「<証拠略>」を「<証拠略>」と改める。

2  二六枚目裏九行目の「左脇」の後に「(以下の説示において、本件遊歩道の右左というときは、その南西進行方向の右左をいう。)」を加える。

3  二七枚目表末行の「吉田は、」の後に「ロッジに帰るのを思い直して」を加える。

4  二七枚目裏一行目の「湯溜まり」を「湯溜まりII」と同五行目の「水がきたので、」から同六行目の「と思い、」までを「水がきてしまい、英夫の体は吉田の両手を離れて再び水没したことに加え、吉田自身も硫黄の臭いではなくもっと気持ちの良い臭いがして何となく気が薄くなり、体の力が抜けて後ろに倒れそのまま湯を吸ってしまうような気がしたので、」とそれぞれ改める。

5  二八枚目表三行目の「吉田」から同四行目末尾までを「吉田にも、軽いながら明らかな硫化水素ガスによる中毒症状が認められたが、山田及び山岳警備隊員らには明白な異常は認められなかった。」と改める。

6  二八枚目表六行目の「右事実」から同末行までを「右事実に<証拠略>を総合すると、湯溜まりIIには、湯溜まりII付近あるいは湯溜まりIIの湯の中から発生した硫化水素ガスを主とするガスが周囲の岩等に阻まれて拡散ないしは外に流出せずにある程度の濃度を保ったまま水面に滞留しており、英夫はこのような湯溜まりIIに入ったことにより、右硫化水素ガス等を吸引して異常を感じ、湯溜まりIIから上がろうとしたが、意識が薄くなって後ろに倒れて湯溜まりIIに水没し、溺死するに至ったものと推認される。」と改める。

第三地獄谷及び遊歩道の概況並びにその危険性

原判決の「三 地獄谷及び遊歩道の概況並びにその危険性」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。ただし、右記載につき次のとおり付加訂正する。

1  二八枚目裏二行目冒頭から同九行目の「並びに」までの「<証拠略>」を「<証拠略>」と改める。

2  二九枚目表三行目から四行目にかけての「走っている。」を「通じている。」と、同裏一行目の「その中央部分を結ぶ路」を「低地になっている谷の部分をほぼ東西に横断する通路(その西端は、旧フサジ山荘廃屋辺りになる。原判決の別紙図面参照)」と、同六行目の「すぐ左手」を「本件遊歩道の左側」とそれぞれ改め、同末行の「更に」の後に「南西に」を加え、同行の「右手の遊歩道脇」を「本件遊歩道の右脇」と改め、三〇枚目表三行目の「形態等」の後に「並びに木柱Iの大きさ及び彫り込まれていた文言」を加え、同五行目から六行目にかけての「剥げ落ちていた。」を「剥げ落ちていたため、文字は見易くはないが、近くに寄れば読むことができるものであった。」と改める。

3  三〇枚目裏二行目の「遊歩道右手に」を「本件遊歩道の右脇に」と、同四行目から五行目にかけての「剥げ落ちていた。」を「剥げ落ちていたため、文字は見易くはないが、近くに寄れば読むことができるものであった。」と、同九行目の「硫化水素又は亜硫酸ガス」を「主に硫化水素ガス」とそれぞれ改める。

第四本件事故現場(湯溜まりII)付近の概況及びその危険性

一  前記争いのない事実に<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

湯溜まりIIは、窪地状をした地獄谷の中にあり、本件遊歩道から高低差にして約一〇メートル下がった位置にあるコンヤ川の流れの中にあって、周囲が自然の石や岩で擁壁様に囲まれている人工の加わっていない天然のほぼ楕円形の窪みである。その大きさは、コンヤ川の流れに沿って長さ約九・三メートル、最も広い部分が幅約六・九メートルで、上流から水が流れ落ちている部分は水蒸気が激しく立ち上がり、湯溜まりが括れて再びコンヤ川に流れ出す部分では縁下が深く抉られており、湯溜まりの内部は擂り鉢状になっている。そして、湯溜まり内では水底の数か所から硫黄性のガスが噴出しており、このため通常は水面の数か所が盛り上がり、ボコボコという音がして、湯溜まり内部では対流が起こっている。水面も乳白色で通常は水の中は見えず、その周辺では卵の腐ったような主に硫化水素ガスによると思われる臭気が強く、付近に植物は生育していない。その水温は、流入する川の水量等に左右されるので本件事故当時の水温ははっきりしないが(英夫は、吉田の質問に対し、水温について格別のことを述べておらず、また、英夫を救出しようとした吉田も英夫の救出に夢中であったためか、水温について格別強い印象を持たなかったように窺われるが<証拠略>、他方、吉田の次に英夫を救出しようとした山田は「中の方から熱いのが沸いてきている感じがして、もう少し中に入るということができなかった。」旨の証言をしている。)、本件事故後の昭和六二年八月一一日早朝に測定した時には摂氏約六〇度ないし約六七度であった(なお、そのときに湯溜まりIIに流入している水の温度は摂氏約一三度であった。)。また、湯溜まりIIの南東端からほぼ南東の方向に水平距離にして約四メートルの地点には相当高濃度の硫化水素を含む有毒ガスを噴出する噴気孔があった。そして、硫化水素ガスは、五〇〇PPMを超えると、直ちに意識消失を来し、呼吸麻痺などの全身作用が現われ、三〇分ないし六〇分で死亡し、六〇〇ないし八〇〇PPMでは、急速に死に至り、一〇〇〇PPMでは、数呼吸で昏倒、死亡するものであるが、その比重が一・一ないし一・二(ガスの温度によって異なる。)で空気より重いため、無風状態のようなときには窪地状の地形の場所には滞留しやすいので、極めて危険である。房治の子であり同人の後に昭和二九年頃から房治荘やニューフサジの経営に当たっている佐伯喜代一や、昭和二七年頃から立山のガイドとか山小屋の従業員をし、昭和四四年に富山県山岳救助隊に入り、昭和四七年から山岳警備隊員をしている佐伯盛一を含む地元の者は、湯溜まりIIに露天風呂代わりに入ることは極めて危険な行為であるが、その周辺部を通るだけでは危険性がないと認識していたものであり、佐伯盛一はこれまで地獄谷を訪れた観光客から露天風呂があるかどうか尋ねられたことはなかった。

二  以上の事実に基づいて考えると、湯溜まりII付近は、その地形からみて低地にあること、噴気孔等があることにより硫化水素ガス中毒にかかるおそれのある危険な所であるが、湯溜まりIIはその形が窪地状になっているので、湯溜まりIIに露天風呂代わりに入ることは飛躍的に危険性を増大させる行為であるということができる。因みに、本件事故後、本件訴訟の関係者や研究者グループが、何度か、湯溜まりII付近に行って調査等をしたが<証拠略>、右訴訟関係者や研究者グループに関するものを含め、本件事故後に有毒ガスによる事故が発生した旨の報告、報道がなされたことはないところである<証拠略>。

三  ところで、控訴人らは、地獄谷内の湯溜まり特に湯溜まりIIは古来、天然の露天風呂として利用されてきたと主張する。

<証拠略>によれば、原判決の別紙図面の旧フサジ山荘廃屋と記載されている辺りに地獄谷温泉と表示している地図があること、各種ガイドブックで地獄谷内に地獄谷温泉があると紹介しているものがあること、国土地理院作成の地図にも湯溜まりIIの辺りに温泉や鉱泉を示す印が記載されているものがあることが認められる。

しかし、右の各証拠に<証拠略>を総合すると、右に掲記したガイドブックも、湯溜まりを露天風呂として利用できると紹介しているわけではなく、むしろ地獄谷内の湯溜まりは底の状態が不明であり、有毒ガスが噴出していて危険であるとか、強烈な硫化水素ガスにより喉を刺激されて呼吸困難になるから噴気孔の風下に長時間いることは危険であると警告していること、湯溜まりIIは前記旧フサジ山荘廃屋から一六〇メートル余り離れた場所にあって、旧フサジ山荘(後記の地獄谷温泉小屋あるいは房治荘のこと)の付属施設としての露天風呂と見られる位置関係にはないこと、湯溜まりIIはそれが有毒ガスによって危険であると知られる前は露天風呂代わりに入る者もいたが、その後、地元の者で露天風呂代わりに入ろうとする者はいなくなり、地元の者以外の者が稀に露天風呂代わりに入ろうとしている場合には、地元の者が入らないよう注意警告していたことが認められる。そして、以上の各事実に、地図中に温泉や鉱泉として記載されている泉が入浴に適しないものを含むものであることを考慮すると、湯溜まりIIを含む地獄谷内の湯溜まりが古来露天風呂として利用されてきたとはいえない。

なお、<証拠略>によれば、昭和一六、一七年頃、湯溜まりIIに露天風呂代わりに入ったことによる死亡事故が発生したことが認められるが、それ以後は本件事故までの間に湯溜まりIIに露天風呂代わりに入ったことによる死亡事故ないし重篤な中毒事故が発生したことがあったことを認めるに足りる証拠はない。

更に、<証拠略>によれば、前記旧フサジ山荘廃屋と記載された位置には、佐伯喜代一の父である佐伯房治が昭和二二年に山荘を建てたこと(当初は地獄谷温泉小屋といい、その後房治荘と名前を変えたが、昭和五〇年に現在のニューフサジの場所に移った。)、右地獄谷温泉小屋は、開設当時、日本最高所の温泉として評判になったこと、房治は昭和二四、二五年頃に、コンヤ地獄内にある湯溜まりに露天風呂代わりに入るのはガス中毒になる危険性があることから、右地獄谷温泉小屋の前に露天風呂を造ったが(人の手を加えたものであることは一見して分かるものである。)、右露天風呂は湯の花が溜まったり水温が低かったりしたためにあまり利用する者がおらず、佐伯喜代一が右露天風呂に人が入っているのを最後に見掛けたのも昭和三五、三六年頃であったこと、前記地図及びガイドブックに地獄谷温泉と記載されているのは右地獄谷温泉小屋を指すことが認められる。

第五被控訴人らの責任原因

一  被控訴人国の責任原因

1  請求原因3(一)(1)は当事者間に争いがないところ、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」とは国又は公共団体の行政主体により、特定の公の目的に供用される有体物ないし物的設備をいい、「公の営造物の設置又は管理の瑕疵」とは、公の営造物がその設置又は管理上通常備えるべき安全性を欠く場合をいい、その瑕疵の有無は、当該営造物の構造、通常の用法、場所的環境及び利用状況等の諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。したがって、本件で検討すべき公の営造物の設置又は管理の瑕疵の有無とは、公の営造物である本件遊歩道(本件遊歩道が公の営造物であることは当事者間に争いがない。)につき、英夫が本件遊歩道から離れて露天風呂代わりに湯溜まりIIに入り、前記のような事故に遭遇したことについて、右のような事故の発生を予測し、これを防止する措置を講ずるべき義務があったか否かということになる。

ところで、控訴人らは、湯溜まりIIを含む地獄谷一帯も公の営造物であると主張するが、その趣旨は、本件事故との関連においては、地獄谷のうち、湯溜まりII及びその周辺も公の営造物であるとして、その点についての判断を求めるものと解される。

前記争いのない事実によると、地獄谷を含む立山町室堂一帯は、中部山岳国立公園の区域に指定され、地獄谷一帯は、室堂集団施設地区の中の園地区に指定されていて、その詳細計画では、危険防止に万全を期するものとされている。本件のように、自然公園法に基づき、自然の風景地を保護するとともにその利用の増進を図ることを目的として一定の地域を指定する地域制公園の場合は、都市公園のように直接に公の目的に供用する営造物である公園と違って、自然そのものが公園となり、自然をあるがまま維持、管理し、自然の景観、自然現象を鑑賞、観察するための利便を供しようとするものである。したがって、本件のような公園は、前記指定がされたことにより、指定地区が公の営造物になるものでもなく、右の目的のために設置される園路、卓ベンチ、休憩所、保護柵等が公の営造物とされるものである。ところで、湯溜まりIIは、前記のとおり、川の流れの中にある人工の加わっていない自然の石や岩で囲まれた天然の窪みであるから、それは、専ら自然観察ないし探勝の対象に過ぎず、公の営造物であるとはいえない。そして、湯溜まりIIの周辺も、右と同様に公の営造物といえないことは明らかである。

2  一般的に、本件事故現場を含む地獄谷のような自然公園は、自然の営みの中にあるものとして本来的に多分に危険性が存在するものであり、その危険は訪れる利用者において自主的に回避することが原則として予定されているというべきである。

しかし、本件の地獄谷のように、噴気孔等から有毒ガスが発生している場合、これについて知識、経験の少ない一般観光客の来訪も容易に考えられるから、具体的に事故発生の危険性が予測される場所付近において遊歩道等を設置するに当たっては、その危険性を明確にして利用者に注意を喚起し、あるいはその立入りを禁止する等の措置を採ることが営造物の設置管理者に要求されると解される。

3  被控訴人国は、本件遊歩道を設置するに当たっては有毒ガスに曝される危険の少ない高所を選定し、また、注意を促すために木柱I、木柱IIを設置していたことは前記のとおりである。

そこで、本件のような事故の発生を防止するために、本件遊歩道の設置管理者たる被控訴人国において、控訴人らが主張するような諸措置を採ることが要求されるかどうかについて検討する。

前記のとおり、本件遊歩道の利用者が、そこを歩行している限りは危険は生じないが、遊歩道を外れて下方を散策したりすると、ガス中毒の症状に見舞われる危険が存在するが、散策することのみによってガスにより死亡した例はない。そうすると、本件遊歩道の管理者としては、少なくとも、本件遊歩道以外を歩行しないように警告すべきものと解される。しかし、それ以上に、控訴人らが主張するような木柵やガス警報器を設置する等の措置を採ることまでは要求されないものというべきである。

ところで、前記のように、本件事故は、英夫が、本件遊歩道から通路もない斜面を下り、強い硫黄臭がしていて、人の手が加えられた露天風呂でないことが一件して分かる湯溜まりIIに露天風呂代わりに入った際に生じたものであり、加えるに、英夫は、ひまわり山歩会に所属し、月一、二回の広島県内での登山のほか年に三回ほどは県外で泊まりがけの登山を行い、温泉を利用することも多く、温泉好きであったのであるから、硫黄臭の強いガスが有毒なものであることが多いことを認識していたか、容易に認識することができたはずなのに、あえて、危険を犯して湯溜まりIIに入ったものというべく、そうすると、被控訴人国は、湯溜まりIIにおいて本件のような事故の発生する危険性を予測することができなかったものと認められる。したがって、被控訴人国が、前記のような柵等を設置するなどの措置を採っていなかったことをもって、直ちに本件遊歩道の設置又は管理に瑕疵があったとはいえない。そして、その他、本件遊歩道の設置又は管理に瑕疵があったことを根拠付けるに足りる事実は、本件証拠上これを認めることができない。

そうすると、被控訴人国に対し、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償を求める控訴人らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二  被控訴人富山県の責任原因

請求原因3(一)の(2)については、本件全証拠によってもこれを認めることができない。同(4)(同被控訴人に関する部分)については、<証拠略>により、控訴人ら主張のような警告文が掲示されたことが認められる。

右事実によると、同被控訴人は、本件遊歩道につき、事実上管理するものと推認することができる。

しかし、前示のとおり、本件遊歩道については、設置又は管理の瑕疵があったとは認められないから、同被控訴人に対し、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償を求める控訴人らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  被控訴人立山町の責任原因

請求原因3(一)の(3)は当事者間に争いがなく、右事実によると、同被控訴人は、本件遊歩道につき、事実上管理するものであると認めることができる。

しかし、前示のとおり、本件遊歩道には、設置又は管理に瑕疵があったといえないから、同被控訴人に対し、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償を求める控訴人らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第六よって、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 川波利明 菊地健治 河野清孝)

(参考)第一審(広島地裁 昭和六一年(ワ)第一一二一号損害賠償請求事件 平成四年三月一七日判決)

主文

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告らは、連帯して、原告中島三香子に対し金七七二五万円、原告中島敦子及び原告中島由布子に対し各金三七六二万五〇〇〇円、原告中島時子に対し金五五〇万円及びこれらに対する昭和六〇年七月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 主文と同旨。

2 仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告らの地位

中島英夫(以下「英夫」という。)は、昭和六〇年七月二二日に後記2記載の事故で死亡した。原告中島三香子は英夫の妻、同中島敦子は長女、同中島由布子は二女、同中島時子は母である。

2 本件事故の発生

(一) 英夫は、広島弁護士会所属の弁護士であったが、同会有志で構成する「ひまわり山歩会」に所属し、昭和六〇年七月二〇日から同会の仲間一八名とともに立山連峰、剱岳に登り、翌二一日には富山県中新川郡立山町室堂にある「ロッジ立山連峰」(以下「ロッジ」という。)に宿泊した。

(二) 二二日、英夫は、午前四時三〇分頃起床し、ロッジ内の風呂に入浴した後、午前五時一五分頃にロッジ付近の散策に出向いた。右散策の際、ロッジの南側に拡がる立山地獄谷(以下、単に「地獄谷」という。)内に入浴に適すると思われる露天風呂様の湯溜まりを数ヵ所見付け、午前五時四〇分頃同行の吉田薫(以下「吉田」という。)、山田慶昭(以下「山田」という。)を誘って入浴に赴いた。

(三) 英夫らは、地獄谷を縦断して設置されている遊歩道の進行左側の湯溜まり(以下「湯溜まりI」という。)に入浴した後、吉田を伴って、この湯溜まりIから一〇〇メートルほど離れた遊歩道右側斜面下にある「コンヤ地獄」と呼ばれる湯溜まり(以下「湯溜まりII」という。)に向かった。湯溜まりIIは小川の流れの中に湧き出した長さ約九・三メートル、幅約六・九メートルのくぼみ状の水溜まりで、遊歩道寄り北東部がやや狭まっており、その先には長さ〇・六メートル、幅〇・三メートルほどの岩盤があった。

(四) 英夫は、この足場様の岩盤から湯溜まりIIに入った。少し遅れて現場について吉田が「どうか。」と声をかけると、英夫は普通の声で「硫黄の臭いがすごい。」と答えた。そして英夫は、湯の中から上がろうとしたが、噴出する有毒ガスを吸引して意識を失い、仰向けに湯溜まりIIの水面に倒れ、そのまま水没した。吉田は直ちに救助のため湯溜まりIIに入ったが、英夫の体は湧出する湯の対流に巻き込まれて救い出すことができなかった。その後、遅れてかけつけた他の会員や山岳警備隊員などが救助にあたったが、容易に救出することができず、同日午前七時五七分頃に引き上げられた時には、英夫は既に死亡していた(これを、「本件事故」という。)。

3 被告らの責任

右湯溜まりIIを含む地獄谷一帯は、全体として「公の営造物」にあたるところ、被告らの右営造物の設置、管理に瑕疵があったため、本件事故が発生した。

(一) 公の営造物

(1) 地獄谷を含む立山町室堂一帯は、昭和九年に国立公園法に基づき中部山岳国立公園の区域に指定(内務省告示第五七〇号)され、昭和一三年一二月一七日に同公園の公園計画が決定告示(厚生省告示第一六七号)され、昭和四五年に「室堂集団施設地区」に指定されるとともに、同集団施設地区に関する「詳細計画」が決定告示(厚生省告示第四一九号)され、昭和四八年九月二七日環境庁告示第五七号をもって、「詳細計画変更」がなされた。

右「詳細計画」によると、その基本方針として、「厳しい気象条件、火山現象等による危険性を考慮し、安全な利用がはかられるよう検討する」ことが定められており、地獄谷一帯は、集団施設地区のなかの「園地区」に指定され、園路、広場、休憩所、卓ベンチ、保護柵等、「散策及び休憩のための施設に重点をおいて計画する」ものとされ、集団施設区域内の歩道は、第一種道路として「幅員二メートル程度を確保し、ズック靴をはいた子供でも歩きやすいように整備する必要がある」とされている。地獄谷一帯については、「火山現象を観察するための自然現象研究路」として、園地区としての整備をはかるものとされているが、地獄谷から発生する有毒ガスの生命・身体に及ぼす危険性を考慮して「危険防止に万全を期すもの」とされている。

以上をふまえて被告国は、国立公園に関する公園事業の執行者として、右公園計画に基づき、園地区である地獄谷一帯に散策のための遊歩道や、野外卓ベンチを設置し、かつ地獄谷の「火山現象等による危険性を考慮し、安全な利用が図られるよう」、本件木柱I、IIを設置したものである(これら施設の設置場所は、後に(二)(2)で述べるとおりである。)。

国立公園集団施設地区は、「環境庁所管の公共用財産である土地」であり、室堂集団施設地区の一部としての地獄谷一帯も、被告国の行政機関たる環境庁の所管に属するから、被告国が管理権限を有するものである。被告国が前記施設を設置したのも、右管理権によるものである。

(2) 被告富山県は、自然公園法一四条二項により、国立公園事業の一部を執行するものであり、地獄谷を含む室堂周辺の遊歩道・展望台等の設置及び管理を行うものである。

(3) 被告立山町は、数次にわたる立山町総合計画において、中部山岳国立公園を、四季を通じて観光客を招くことのできる国際的観光地として位置付け、特に昭和四六年「立山・黒部アルペンルート」の全面開通により、年間一〇〇万人余りの観光客が訪れるようになったこともあって、被告国、同県の計画をふまえて観光客の誘致と受入体制の整備を図るべく、歩道・指導標・公衆便所などの公共施設の整備等の観光開発、立山一帯の景観維持、諸施設の適正な管理運営、安全な観光レクリエーションのためのパトロールの強化、事故対策等の観光管理体制の強化に重点を置いてきた。

(4) また、被告富山県の自然保護課及び同立山町の立山観光課、商工観光課は、地獄谷一帯の自然保護や安全確保の観点から年一、二回、環境庁と工作物の設置等につき協議しており、更に被告富山県は、本件事故後環境庁と連名でロッジに警告文を掲示しており、被告富山県及び同立山町は、同国とともに事実上地獄谷一帯を管理してきたものである。

以上(1)ないし(4)によれば、本件事故当時、地獄谷一帯は、被告らによって「観光地たる公園」という「公の目的」に供されていたのであるから、地獄谷全体が「公の営造物」となっていたのであり、湯溜まりIIを含む地獄谷内の湯溜まりや物的施設はその一構成部分をなすものである。

(二) 設置・管理の瑕疵

(1) 中部山岳国立公園立山黒部地区の概況

中部山岳国立公園立山黒部地区は、古くは、登山客が訪れるのみであったが、昭和四六年に立山・黒部アルペンルートが開通されて以来、手軽に行ける観光地として脚光を浴び、現在では多数の観光客が訪れる日本を代表する観光地となっている。

(2) 地獄谷の概況(別紙図面参照)

(イ) 地獄谷には、コンヤ川をはさんでその東西両岸に遊歩道が設置され、またその中央部分の旧フサジ山荘廃屋付近で両者を結ぶ遊歩道が設けられており、この遊歩道はコンヤ川を横断するものとなっている。本件事故当時、この東西二本の遊歩道で囲まれた範囲内の診療所跡付近と、別紙図面H点付近の少なくとも二ヵ所に野外卓ベンチが設置されていた。

(ロ) ロッジの玄関から遊歩道の緩傾斜を約三九メートル南方に上ると遊歩道が二手に岐れ、その一方が地獄谷の北方入口となる。そして、地獄谷に向かう遊歩道は、ここから地獄谷の中央部にある硫黄柱の前まで地獄谷を南北に縦断するように設置されていた。本件事故当時、右遊歩道は未舗装で、幅約一・五メートルほどの道の両側に小石を積んで遊歩道の内外を区別している程度のものであった。

(ハ) この遊歩道を右北方入口地点から南に約四一〇メートル行くと、遊歩道のすぐ左手約一・五メートルのところに前記湯溜まりIがある。湯溜まりIは、縦約二・二メートル、横二・八メートルの楕円形で、地表から約〇・八メートルの高さの石積みがされており、深さ約〇・七メートルである。本件事故当時、湯溜まりIの周囲には立ち入りを禁じたり、危険を告知する柵、ロープ、立て札等の設備は全くなかった。

(ニ) 湯溜まりIから遊歩道を更に約四〇メートル行くと、遊歩道右手に直径〇・一八メートル、高さ一・七メートルほどの木柱Iが斜めに傾いて立っていた。右木柱には「危険に付園路以外に入いらないで下さい」という文言が彫り込まれていたが、本件事故当時、彫り込み部分のペンキが剥げ落ち、文字も小さかったため、右文言を読み取ることは困難であった。

(ホ) 木柱Iから遊歩道を南西に約三二メートル行ったところから、遊歩道の右手に約三二メートル下ると、本件事故現場である湯溜まりIIがある。遊歩道と湯溜まりIIとの高低差は約一〇メートルである。本件事故当時、遊歩道から湯溜まりIIへの進入部あるいは遊歩道の周囲に、柵、ロープ、その他立ち入りを防止する設備、または立ち入り禁止を告知する設備は全く施されていなかった。

湯溜まりIIは、小川の流れに沿ってできた長さ約九・三メートル、幅約六・九メートルのひょうたん形の窪みで、水面まで周囲から〇・五ないし一・五メートルすり鉢状に窪んでいるが、湯溜まりIIの遊歩道側北東部には自然に下りられるように傾斜した進入路状の部分があり、その下の水面のすぐ上に〇・三メートル×〇・六メートルほどの長方形状の足場となる岩盤があった。湯の色は乳白色で、水面には四箇所ほど湯が湧出している部分があり、小川の水が流れ込む付近から白煙が出ている。

(ヘ) 右遊歩道の湯溜まりIIへの進入部付近から遊歩道を更に南西へ約四〇メートル行くと、右手に木柱Iと同様の木柱IIが立っており、同様の文言が彫りこまれている。木柱IIも木柱Iと比べると少し読みやすいといった程度で、注意して覗き込まない限り文字を判読できる状態ではなかった。

(ト) 木柱IIから更に南西に三〇メートル行った遊歩道右手に湯溜まりIによく似た湯溜まりIIIがある。湯溜まりIIIの前には柵はないが、ロープが張ってあり、また遊歩道に向けて横〇・四五メートル、縦〇・二メートルほどの板に「立入禁止」と書いた標識が立っている。

(チ) 湯溜まりIIIから遊歩道を南西へ約四〇メートル行くと、地獄谷の中央部に至り、白煙の昇る硫黄の石柱がある。石柱前の遊歩道には柵が設けられている。

遊歩道はこの石柱前から南に向けて急な坂となり、坂を上って東に向かい、遊歩道を約三六〇メートル上るとみくりが池のある広場に至る。

(リ) みくりが池のある広場の東方にはみどりが池があり、北方にはりんどう池がある。りんどう池のそばには地獄谷・立山連峰を望む展望台が設けられている。

みくりが池のある広場の南側には相当数の宿泊設備を備える室堂ターミナルがある。

(3) 地獄谷の持つ危険性

(イ) 地獄谷は、立山火山の爆裂火口として形成されたものであり、現在もなお火山活動が続いている。ここには地下から高温高圧の水蒸気を主とするガスが吹き出し、そこへ溶岩の下を流れてきた地下水が流れ込んで温泉となっている。各所に噴気孔があって、その噴気孔がいわゆる「地獄」と称されており、噴気孔ごとに、百姓地獄、カジヤ地獄、コンヤ地獄(紺屋地獄あるいはコウヤ地獄ともいうが、ここでは「コンヤ地獄」という。)などと呼ばれている。

各噴気孔から排出される水蒸気には、硫化水素、亜硫酸ガス、炭酸ガスなどが含まれており、これが人体の生命・健康に影響を及ぼすと同時に植物にとっても有毒であるから、地獄谷の噴出ガスの影響の及ぶ範囲に草木は存在せず、まさに地獄ともいえる様相を呈している。各噴気孔の場所は適宜移動するし、そこから排出されるガスの成分比も刻々と変化する。

噴出ガスの人体への影響は、噴出ガスの成分比、地形、気象条件等によって規定され、わずかに臭気を感じたり、目や喉に刺激があったりする段階から死に至る段階までの多段階かつ連続的変化を伴う。硫化水素、亜硫酸ガス、炭酸ガスなどの有毒ガスは、空気より比重が高いから、無風状態では空気の下にもぐりこみ、直接地表に接すると同時に凹地に滞留し、あるいは一つの層をなしてより低い方へと流れて行く。有毒ガスが多量に発生し、重いガスが滞留しやすい地形であって、かつ無風あるいは寒冷などガスが拡散しないような気象条件の三つが重なりあったときに死亡事故が発生する。

(ロ) 地獄谷の真ん中にはコンヤ川が流れている。コンヤ川の東西両側は丘陵となっている。右西側の丘陵には多数の噴気孔があり、そこから噴出したガスは下方に流れてコンヤ川にたどりつきコンヤ川沿いに下流に流れてゆく。この理論どおりに地獄谷の草木の生えない不毛地帯は、コンヤ川沿いに展開され、コンヤ川から両岸の山の高みに上るにつれて草木が成育している。したがって、無風のときはコンヤ川沿いが一番危険な地域である。

コンヤ地獄は、コンヤ川の一部であり、その水の色は静穏な状態では紺色に見えるため、「コンヤ」地獄と称されるが、地獄谷において唯一古来から天然の露天風呂として利用されてきた。「地獄谷温泉」と呼ばれるものは主としてコンヤ地獄を示すものである。しかしながら、他方で、コンヤ地獄は、地獄谷の中にあって最も危険な場所である。すなわち、前記のとおり、コンヤ地獄は、危険地帯としてのコンヤ川の中にあり、しかもその周囲は数十センチメートルの高さの自然の擁壁様をなしているため、コンヤ地獄の上流からコンヤ川沿いに流れ込んでくる有毒ガスがコンヤ地獄に滞留するからである。これまで地獄谷で起きたガス中毒事故は、コンヤ地獄での事故が大半を占めている。前記のとおり、湯溜まりIIとは、このコンヤ地獄をさすものである。

(4) 地獄谷の利用形態

前述のように、中部山岳国立公園立山黒部地区は、現在では日本を代表する観光地となっており、とりわけ室堂地区は観光客の集中する場所である。地獄谷一帯を散策する「地獄谷往復コース」は、「室堂散策コース」の一つとして位置づけられた定番コースである。

したがって、地獄谷一帯は、利用者の観光目的に供されている地域である。

(5) 地獄谷一帯の「設置・管理の瑕疵」

(イ) 一般に観光客は、当該観光地の地理、地形などに不案内であるだけでなく、好奇心が強く、また解放感にもひたっているので、通常の場合における一般人より危険性に対する注意能力、判断力が低下している場合が多い。したがって、地獄谷のような観光地たる「営造物」が本来備えるべき安全性とは、最も判断力の低い者であっても選択に迷うことのない程度に安全性を具備したものでなければならない。

(ロ) 遊歩道は、不毛地帯内を通過しているから、気象条件によっては有毒ガスの影響が多少及ぶ範囲にあるが、高所に設置されているから、そこを歩行する限り少なくとも人の生命・身体に重大な影響が及ぶことはない。しかし、遊歩道を外れて低地に立ち入ることは有毒ガスの観点から危険であることは明らかである。しかるに、被告らは遊歩道外にベンチを設置して遊歩道外への立ち入りを誘発していたのである。実際、遊歩道を外れて散策する観光客は多数見受けられる。

また、湯溜まりII付近は、まさに有毒ガスの滞留しやすい地形であって、無風あるいは寒冷などガスが拡散しないような気象条件が重なれば、湯溜まりに入浴するか否かに関係なく、重篤なガス事故が発生するかもしれないのであり、これまでにも地獄谷で事故が発生していることや現に遊歩道を外れて散策する観光客が多数いることに照らせば、被告らにとって遊歩道を外れた地点で事故が発生する危険は容易に予見しうるものであったといえる。

更に、コンヤ地獄は古来から露天風呂として利用されてきていること、湯溜まりIIは日によってその様相が異なり、本件事故当時のように、湯の色は透明に近く、水面もほぼ滑らかで水位も高く、あたかも露天風呂の様相を呈していることもあるから、湯溜まりIIが遊歩道の通行人から見下ろすことのできる場所にあり、一見して露天風呂とは見えないとしても、前記観光客の特性を考えれば、湯溜まりIIに入浴する者がいることも十分予見しうるものである。

(ハ) したがって、被告らは、危険防止に万全を期するためには、まず地獄谷一帯の有毒ガスが人体に危険を持っていること、遊歩道以外を歩かないこと、噴気孔に近づかないことを指摘した文書を観光客の容易に目につく場所に掲示すべきであったのであり、次に遊歩道からコンヤ川の方向に観光客が踏み出さないようにコンヤ川東側の遊歩道については、硫黄柱付近と同様の木柵をロッジ付近まで延長し、かつ適当な間隔のもとに木柱I、IIと同様の危険表示をした木柱を木柵に沿って設置すべきであった。そして、木柱I、IIについては、その表示部分のペンキが剥げ落ち、かつ木柱Iは傾いて見えにくくなっていたのであるから、これを修復すべきであった。

また、遊歩道の外側には野外卓ベンチが設置され、あるいはコンヤ川を横断する遊歩道が設けられていて、危険度の高いコンヤ川付近への立ち入りが容認されているのであるから、そうである以上、被告らは、東西両遊歩道に囲まれた範囲についてはガス警報機を設置し、危険の度合に応じて警報する措置を講ずべきであった。この方法によれば、自然景観を損なわずに危険の防止を図ることも可能である。

そして、湯溜まりIIについては、前述のとおり地獄谷中最も危険な箇所なのであるから、立ち入りが物理的に不可能なように人の身長程度の木柵を周囲に張りめぐらすと同時に、生命への危険がある箇所であることを表示し、かつ警報機も設置するなどの措置を講ずべきであった。

これらの措置を講ずるのに、莫大な費用を要するわけではないし、物理的な障害があるわけでもない。それにもかかわらず、被告らはこれらの措置を講ずることをいずれも怠ったものである。

以上の点からして、地獄谷一帯の設置及び管理には瑕疵があったというべきである。

4 損害

(一) 逸失利益 金一億七五五九万八〇一一円

英夫(本件事故当時三五才)は、昭和五四年四月に日本弁護士連合会に弁護士の登録をしたうえ、広島弁護士会に入会し、弁護士業務に精励していた。

英夫の死亡直前の特別控除前所得は、昭和五八年が四七〇万五三七五円、昭和五九年が五五〇万五八一五円であり、両年の平均は五一〇万五五九五円である。弁護士の所得の年齢別、経験年数別の上昇推移を把握するため、英夫と同期の広島弁護士会所属の弁護士三名及び英夫と同じ事務所に所属する弁護士一名の計四名につき、昭和五八年、同五九年の平均所得と平成元年、同二年の平均所得との間の増収率を算出すると、その平均増収率は二六六・四二パーセントであった。

そこで、昭和六〇年から平成元年までは、昭和五八年、同五九年の平均所得で推移するものとし、平成二年以降は右平均所得に右平均増収率を乗じた額の所得が六七才まで継続するものとして算出すると、昭和六〇年から平成元年までの五年間の新ホフマン係数は四・三六四であり、平成二年から六七才に達するまでの二七年間の新ホフマン係数は一六・八〇四であり、英夫の生活費控除の割合は、弁護士という職業を考慮すると三〇パーセントとするのが妥当であるから、英夫の逸失利益は金一億七五五九万八〇一一円となる。

(5,105,595×4.364+13,602,326×16.804)×(1-0.3)

(二) 慰謝料

英夫の死亡によって原告らの受けた精神的苦痛は多大であり、これを慰謝するには少なくとも原告中島三香子につき金一〇〇〇万円、同中島敦子、同中島由布子及び同中島時子につきそれぞれ金五〇〇万円を要する。

(三) 葬祭費 金二〇〇万円

英夫の葬儀には金二〇〇万円を要し、これを原告中島三香子が支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは本訴の提起及び追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、その報酬として、原告中島三香子が金三七五万円、同中島敦子及び同中島由布子が各金一八七万五〇〇〇円、同中島時子が金五〇万円を支払う旨約した。

(五) 請求額

原告らは、右各損害のうち、葬祭費、慰謝料及び弁護士費用はその全額を、逸失利益については内金一億二三〇〇円を相続分に従い原告中島三香子はその二分の一(金六一五〇万円)、同中島敦子及び同中島由布子は各四分の一(金三〇七五万円)を請求する。

5 結論

よって、国家賠償法二条による損害賠償請求権に基づき、被告らに対し、原告中島三香子は、金七七二五万円、同中島敦子及び同中島由布子は、各金三七六二万五〇〇〇円、同中島時子は金五五〇万円及びこれらに対する不法行為日である昭和六〇年七月二二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うよう求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1のうち、英夫が昭和六〇年七月二二日に死亡したことは認め、その余は不知。

2 同2(一)の事実中、英夫が広島県弁護士会所属の弁護士であったことは認め、その余は不知。

同2(二)のうち、ロッジの南側が立山地獄谷と呼ばれる温泉湧出地域であることは認め、その余は不知。

同2(三)のうち、英夫らの行動は不知、湯溜まりIIが湯溜まりIから一〇〇メートルほど離れた遊歩道右側斜面下にあり、小川の流れの中に位置し、長さ約九・三メートル、幅約六・九メートルほどのくぼみ状の形態をなしていることは認めるが、その余は否認する。

同2(四)のうち、英夫が死亡したことは認め、その余は不知。

3 同3冒頭の事実は否認する。

同3(一)(1)及び(3)は認め、同(2)及び(4)は否認する。

なお、国立公園等の自然公園は、国または都道府県がすぐれた自然の風景地を保護するとともにその利用の増進を図ることを目的とし、土地の所有権や管理権の有無に関係なく指定するものであって、指定された地域全体が当然に公の営造物となるわけではない。

また、原告らは、地獄谷全体が公の営造物であり、湯溜まりIIはその一構成部分であると主張するが、湯溜まりIIはあくまでも自然に存する状態のままで一般公衆の自然観察、自然探勝の対象とされているのであって、何ら人的、物的設備も設置、管理されているものではなく、「公の目的ないし利用に供している」とはいえないので、公の営造物の一構成部分をなすとする原告らの主張は失当である。

同3(二)(1)は認める。

同(二)(2)(イ)のうち、地獄谷の旧フサジ山荘廃屋付近で東西両遊歩道を結ぶ遊歩道が設けられていることは否認し、その余は認める。

同(二)(2)(ロ)のうち、ロッジの玄関から緩傾斜を約三九メートル南方に上ると地獄谷の北方入口があることは不知、その余は認める。

同(二)(2)(ハ)のうち、湯溜まりIの周囲に立ち入りを禁じたり、危険を告知する設備が全くなかったことは否認し、その余は認める。

同(二)(2)(ニ)のうち、木柱Iの彫り込み部分のペンキが剥げ落ち、文字が小さかったため、彫り込まれた文字を読み取ることが困難であったことは否認し、その余は認める。

同(二)(2)(ホ)のうち、遊歩道から湯溜まりIIへの進入部あるいは遊歩道の周囲に立ち入りを防止する設備または立ち入り禁止を告知する設備が全く施されていなかったこと、湯溜まりIIが水面まで周囲から〇・五ないし一・五メートルすり鉢状に窪んでいること、湯溜まりIIの遊歩道側北東部に進入路状の部分があり、その下の水面のすぐ上に長方形状の足場となる岩盤があること及び湯溜まりIIの水面には四箇所ほど湯が湧出している部分があることは否認し、その余は認める。

同(二)(2)(ヘ)のうち、遊歩道右手に木柱Iと同様の文言が彫り込まれた木柱IIが立っていることは認めるが、その余は否認する。

遊歩道からの湯溜まりIIへの進入部というものは存在しない。なお、木柱Iと木柱IIとの間の距離は、約七三メートルである。

同(二)(2)(ト)のうち、湯溜まりIIIが湯溜まりIIと似ていることは否認し、その余は認める。

同(二)(2)(チ)及び(リ)は、いずれも認める。

同(二)(3)(イ)は認める。

同(二)(3)(ロ)のうち、コンヤ地獄が地獄谷において古来から天然の露天風呂として利用されてきたこと、「地獄谷温泉」と呼ばれるものは主としてコンヤ地獄を示すものであること及びこれまで地獄谷で起きたガス中毒事故はコンヤ地獄での事故が大半を占めていることは否認し、その余は認める。

同(二)(4)は認める。

同(二)(5)のうち、遊歩道内を歩行する限り少なくとも人の生命・身体に重大な影響が及ぶことはないこと、被告国が遊歩道外にベンチを設置したことは認め、その余は不知。

4 同4は不知。

三 抗弁

1 予見可能性の不存在

(一) 遊歩道から外れることについて

地獄谷内の遊歩道は縁石に自然石を石積みし、路面も踏み慣らされており、通常人であれば、一見して遊歩道の内外を識別しうるものである。さらに公園利用者が遊歩道外に出ることがないように、「危険に付園路以外に入いらないでください」と彫り込んだ木柱を通行者の目につきやすい遊歩道沿いの三箇所に設置しており、これらの木柱は遠方からでも容易にその存在に気づきうるもので、近傍に至ればその内容を歴然と認識しうるものである。

本件の場合、英夫がロッジから鍛冶屋地獄に向かう場合は、木柱Iを通過して約八メートル進んだ地点に至り初めて湯溜まりIIを右手の眼下に見下ろすことになるから、英夫は危険を警告する木柱を確認することができたはずである。しかも英夫は本件事故以前の午前五時三〇分頃に一度湯溜まりIIを下見しており、少なくとも二回右木柱を見ることが可能であった。

英夫はこれらの注意を無視して遊歩道外へ出たのであって、これ自体通常考えられないことである。

なお、遊歩道外に野外卓ベンチが設置されていたが、右のとおり遊歩道が整備されていたのであるから、利用者が遊歩道外へ逸脱することは通常考えられず、同ベンチの使用も見こまれない上、同ベンチは湯溜まりIIから一〇〇メートル以上離れ、さらに同湯溜まりから屋根を隔てた高所に設置されていたため、有毒ガスによる危険がないことから、撤去されずにいたものである。

(二) 湯溜まりIIに入浴することについて

仮に遊歩道外に出ることがあっても、そのことのみでは危険がなく、英夫のように湯溜まりIIに入浴するという行動がなければ安全である。

湯溜まりIIは遊歩道から約三二メートル離れ、しかも約一〇メートル低いところにある。湯溜まりIIが露天風呂として利用されてきた事実はなく、遊歩道から湯溜まりIIへ向かう進入路というものは過去にも現在にも存在しない。遊歩道から湯溜まりIIに向かうためには、大小の自然石が散乱し、通行困難な急斜面(勾配約二〇度)を降りて行かなければならず、その行為自体既に通常予想される行動の範囲を逸脱している。

そればかりか湯溜まりIIでは、常時強い臭いをもつ火山性ガスが数箇所水底から激しく噴出し、このため内部で対流を起こしており、火山性ガスは湯溜まりIIの辺縁部からも盛んに噴出し、水は乳白色に混濁して水深も知りえない程であり、水底の湯温も明らかではない状況にあった。また、火山活動のある場所に見られる噴出ガスが、硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒なガスであることは特に告知するまでもなく通常人であれば十分承知しているところである。各種の市販書籍でも湯溜まりIIを露天風呂として利用できる旨紹介しているものはなく、有毒ガスの危険性について警告しているものが多い。英夫はこのような状況にある湯溜まりIIに入浴するという無謀かつ常軌を逸した行動をとったものである。

なお、英夫が入浴のため湯溜まりIから湯溜まりIIに向かったのは、午前六時頃であり、その時刻には登山者等が既に行動を開始している時刻である。そのような人通りのある遊歩道を裸で歩行し、さらに湯溜まりIIまで相当距離歩行して入浴したものであり、この行動は公園の利用形態として全く予想されていないものである。

また、過去の地獄谷での事故は、積雪期のものが多く、遊歩道や木柱が雪に埋没するため遊歩道の位置が分からなくなり、遊歩道を外れて有毒ガスを吸引した事故や、雪中に熱で穴ができ、そこに周囲から出た有毒ガスが溜まっている所に転落してガス中毒死した事故等が発生しているのであって、本件のごとく湯だまりIIを露天風呂として入浴したことによる死亡事故はない。

以上のとおり、本件事故は到底予測することのできないものであって、もっぱら英夫の無謀な行動に起因するものというべきである。

2 回避可能性の不存在(回避措置を講じない正当な事由の存在)

自然公園は、優れた自然の風景地それ自体を保護の対象とし、自然観察、自然探勝のため広く一般の利用に供することを目的としている。しかし、その優れた自然の風景地には、本件の地獄谷のようなそれ自体危険な箇所も多く存在する。その危険性を有する風景地をそのままの状態におくことが自然公園のあり方なのであるが、そのような危険な箇所をできる限り自然のあるがままの状態を維持保存しつつ一般の利用に供するとすれば、利用者においても危険を避けながら自然に接しなければならないというべきである。したがって、遊歩道の柵等の施設は、自然公園の特質が傑出した自然の風景地であることに鑑みれば、利用者の安全を確保しつつ、自然の景観を改変するような人工を可能な限り排し、工作物の設置は必要最小限に止められなければならないことになる。

本件の場合、自然観察、自然探勝という本来の目的を犠牲にしてまでも、遊歩道に柵等を設置すべきであるというような特別の事情も認められない。

四 抗弁に対する認否

1 抗弁1(一)のうち、本件遊歩道は縁石に自然石を石積みされていたこと、遊歩道沿いの三箇所に木柱が設置されていたことは認め、その余は否認する。

同1(二)のうち、湯溜まりIIが遊歩道から約三二メートル離れ、約一〇メートル低いところにあること、英夫が入浴のため湯溜まりIから湯溜まりIIに向かったのは午前六時頃であること、過去地獄谷で被告らの主張するような事故が起きたことは認め、その余は否認する。

2 同2は否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一 原告らの地位

<証拠略>によれば、原告中島三香子は亡英夫の妻、同中島敦子は長女、同中島由布子は二女、同中島時子は母であることが認められる。

二 本件事故の発生

1 英夫が昭和六〇年七月二二日に死亡したことは当事者間で争いがない。右争いのない事実と<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 昭和五三年頃、広島弁護士会に登山を目的とする同好会が作られた。この会は同五六年頃からは「ひまわり山歩会」と名付けられ、月一、二回は広島県内の山に登り、年に三回ほどは三、四泊くらいの日程で県外での登山を行っており、山で宿泊する場合は、最後の日は温泉等で汗を流すことにしていた。

(二) 同六〇年当時の「ひまわり山歩会」の幹事であった石口俊一らは、同年七月一九日から同月二二日までの予定で立山連峰、剱岳をルートとする登山計画を立て、同月二一日にロッジに宿泊する日程を組んだ。このように最終日にロッジに宿泊することとしたのは、幹事らが計画を立てるために地図を見ていたところ、剱岳を下りたところに「地獄谷温泉」という記載があったので、このあたりにあるロッジの温泉で汗を長そうと考えたためであった。

英夫は、昭和五四年ころ「ひまわり山歩会」に入会したが、中学校在学中にリューマチを患ったこともあって、「ひまわり山歩会」のメンバーの中では温泉好きとして有名であり、したがって、今回の登山でもロッジで温泉に入るのを殊の外楽しみにしていた。

(三) こうして、英夫は、「ひまわり山歩会」の会員ら一八名とともに昭和六〇年七月一九日の夜広島を出発し、同月二〇日から立山連峰、剱岳に登り、翌二一日剱岳を下山し、ロッジに宿泊した。

翌二二日、英夫は、午前四時三〇分頃起床し、ロッジ内の風呂に入浴したが、その際ロッジの従業員からその風呂は温泉ではなく沸かし湯であることを聞かされた。

英夫は、午前五時一五分頃にロッジ付近の散策に出向いたが、帰室後、同行の者らに「いい露天風呂を見つけた。露天風呂に行ってみよう。」と誘いかけた。そして、山田及び吉田が誘いに応じて一緒に出掛けることになった。

同日午前五時四〇分頃、英夫と山田及び吉田の三名はロッジ備付けの木製つっかけを履いて出掛けた。まずロッジから南西(鍛冶屋地獄)方面に向って地獄谷を縦断するように設置されている遊歩道(以下「本件遊歩道」という。別紙図面の茶色の部分。)を約一〇分間(約四一〇メートル)歩き、そのすぐ左脇にある湯溜まり(湯溜まりI)に入浴した。一〇分間ほど湯につかった後、英夫が「川の方にも行ってみるか。」と誘ったところ、吉田は「せっかくやし行ってみよう。」とこれに応じたが山田は「もう帰る。」と言って服を着た。

英夫は、タオルを腰に巻いたまま服を手に持ち、勝手を知った様子で本件遊歩道をそのまま更に三〇ないし四五メートルくらい歩き、そこで遊歩道を右に外れて地獄谷を下方に下って行った。

(四) 英夫の五ないし一〇メートルくらい後を遅れてついて行った吉田が湯溜まりIIに辿り着いたとき、英夫は既に湯の中に入っていた。そして吉田が入浴しかけたところ、英夫は「硫黄がきつい。」と言って、湯の中から上がろうとしたが、その様子を見た吉田が、英夫の身体の動きが何となくぎこちないと思った瞬間、英夫は突然そのまま仰向けに湯の中に倒れ込み、水没した。この時刻は、およそ午前六時である。

吉田は、更に後ろからついてきていた山田に向かって「山田先生。」と叫んで急を告げるとともに、自らは湯溜まりの中に入り、英夫の腕を自分の首にかけて引き上げようとしたが、英夫の腕はぐったりしていて首にかからず、それが吉田の顔にあたって眼鏡が水中に落ちてしまった。さらに吉田は両手で英夫の体を支えようとしたが、自分自身の身体が後ろに傾いて顎のあたりまで水がきたので、このままでは自分も湯の中に沈んでしまうと思い、外に這い上がった。この間に山田も湯溜まりIIに到着し、二、三度浮き沈みを繰り返していた英夫を周囲から手を伸ばしたりして救い出そうとしたが、助け出すことができなかった。その後、報せを受けてかけつけた「ひまわり山歩会」の仲間や山岳警備隊員などが交々棒竿等の器具を使って救出にあたったが、英夫の体は水中に没してしまって容易に救助ができず、結局英夫が引き上げられたのはほぼ二時間後の同日午前七時五七分頃であり、この時英夫は既に死亡していた。解剖の結果によると、死因は溺死であった。

(五) なお、英夫の救助にあたった吉田、山田及び山岳救助隊員らの身体には特段の異常は生じなかった。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2 右事実及び<証拠略>を併せ考えると、湯溜まりIIには、湯の中から発生する硫化水素又は亜硫酸ガスが周囲の岩等に阻まれて外に流出できずに水面に滞留しており、英夫はこのような湯溜まりIIに入浴することにより、硫黄性の噴出ガスを吸引して意識を喪失し、その結果溺死したものと推認するのが相当である。

三 地獄谷及び遊歩道の概況並びにその危険性

<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

1 地獄谷は、室堂ターミナルの北方約〇・七キロメートル(直線距離)の地点に位置している。

地獄谷付近の地理は別紙図面のとおりであるが、窪地状をなしている同土地のほぼ中央付近をおおむね北東方面から南西方面に向かい園路が走っている。これが本件遊歩道である。

地獄谷内では、「百姓地獄」、「鍛冶屋地獄」等「地獄」と呼ばれる部分を中心に至るところで白煙状に水蒸気が立ち昇り、あるいはガスが噴出し、また大小の湯溜まりがみられる。全体的に大小の岩石が無数に散在し、草木の生育はほとんどなく(ただし、ロッジ付近では遊歩道外に草の生育している部分がある。)、荒涼とした景観を呈している。

遊歩道がコンヤ川をはさんでその両岸に設置されており、その両端はほぼつながっているので、低地の谷の部分を俯瞰しながら周遊する形になっている。かつては、その中央部分を結ぶ路が設けられていたが、本件事故当時はすでに廃道となっており、道路としての形態はなかった。

2 ロッジの玄関から緩傾斜を約三九メートル南方に上がると地獄谷の北方入口がある。本件遊歩道は、この入口から地獄谷を縦断して鍛冶屋地獄方面(概ね北東方向から南西方向)に設置されている。

3 本件遊歩道を前記の入口部分から南に約四一〇メートル行くと、すぐ左手約一・五メートルのところに湯溜まりIがある。湯溜まりIは、縦約二・二メートル、横約二・八メートルの楕円形で、その辺縁には地表から約〇・八メートルの高さの自然石が積み上げられており、深さは約〇・七メートルである。

湯溜まりIから本件遊歩道を更に約四〇メートル行くと、右手の遊歩道脇に直径〇・一八メートル、高さ一・七メートルの木柱Iが立っており、これには「危険に付園路以外に入らないで下さい」と彫りこまれている(以上の距離関係及び湯溜まりの大きさ、形態等は当事者間に争いがない。)。木柱Iは、設置当初、右彫りこみの文字部分に赤ペンキ、その周囲に白ペンキが塗られていたが、本件事故当時は斜めに傾き、ペンキはほとんど剥げ落ちていた。

4 木柱Iから本件遊歩道を南西に約三二メートル行った地点から、遊歩道を右に逸れて約三二メートル谷の方に向かって下って行くと、湯溜まりIIがある。遊歩道と湯溜まりIIとの高低差は約一〇メートルであり(以上の事実は当事者間で争いがない。)、遊歩道から湯溜まりIIに行く道ようのものはないので、散在している大小の石を踏み超えて歩くことになる(その傾斜角は約二〇度三〇分である。)。

5 本件遊歩道を更に南西(室堂方面)へ行くと、遊歩道右手に木柱Iと同様の木柱IIが立っており、同様の文言が彫りこまれている(争いない。)。木柱IIも木柱Iと同様、本件事故当時、彫りこみ部分のペンキはほとんど剥げ落ちていた。

ロッジから湯溜まりIIに至る途中には、その外、遊歩道外への立ち入りを禁じたり、危険を告知する柵、ロープ、立て札等の設備はなく、またロッジ内にも遊歩道外への立ち入りを禁ずる旨の文書等の掲示はなかった。木柱Iから木柱IIに至る付近では、卵の腐ったような硫化水素又は亜硫酸ガスによると思われる臭気が強く感じられる。

6 このように、地獄谷一帯では至るところでガスが噴出しているから、それ自体危険な場所ということができる。もっとも、遊歩道は高い所に設置されているから、そこを歩行している限りは危険は生じないが、遊歩道を外れて下方を散策したりすると、ガス中毒等の症状に見舞われる危険が存在する。しかし、過去に地獄谷内を散策することのみによってガスによって死亡したという例はなかった。

四 本件事故現場(湯溜まりII)の概況及びその危険性

前記争いのない事実及び<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

湯溜まりIIは、本件遊歩道から高低差にして約一〇メートル下った地点の、コンヤ川の流れ(コンヤ川の上流に位置する。)の中にある、天然のひょうたん形の窪みである。その大きさは、流れに沿って長さ約九・三メートル、幅約六・九メートルで(右の地形の関係及び湯溜まりIIの大きさは当事者間で争いない。)、上流から水が流れ落ちている部分は水蒸気が激しく立ち上がり、湯溜まりがくびれてコンヤ川に流れ出す部分では縁下が深く抉られている。その内部はすり鉢状になっており、周辺の縁は自然の石や岩から成っている。

湯溜まり内では水底の数箇所からは絶えず硫黄性のガスが噴出しており、このため水面の四箇所くらいが盛り上がり、ボコボコという音がする。さらに湯溜まり内部では対流が起こっている。水面は乳白色で水の中は見えず、その周辺では卵の腐ったような硫化水素又は亜硫酸ガスによると思われる臭気が強かった。

水温は、流入する川の水量等に左右されるから本件事故当時の水温ははっきりしないが、事故後何度か測定した結果によれば、摂氏六〇度から六七度くらいであった。

なお、本件事故当時の湯溜まりIIの状況に関し、証人吉田薫は、水の色は白濁していたものの透明に近く、水面もほぼ滑らかであったと証言するが、<証拠略>によれば、昭和六〇年七月二二日午前六時三五分の時点では、濃い乳白色で透明度が全くなく、水面に四箇所底からガスが噴出し、直径八〇センチメートルくらいの盛り上がっている部分があり、水流が存在したと認められるから、その三〇分前では状況はさして変わらないと思われること及び本件事故当時、水底が見えなかったし、水没した英夫の体も水の上からは見えなかったこと(同証人の証言)、英夫の体が数分の間に何度か浮いたり沈んだりしたこと、水底から四箇所ほどガスが噴出していたことに照らすと、同証人の前記証言も前記認定を覆すものではない。

以上の事実及び本件事故の発生からみて、本件湯溜まりIIはその内部から噴出する有毒ガスが湯溜まり内に滞留しやすく、ここに入浴することはきわめて危険であることが認められる。

五 被告らの責任

1 被告国の責任

(一) 公の営造物

請求原因3(一)(1)の事実は当事者間で争いがない。

右争いのない事実及び前記認定の事実によれば、中部山岳国立公園の地獄谷を含む一帯の地域は、「室堂集団施設地区」のなかの園地区に指定され、「火山現象を観察するための自然現象研究路」として整備をはかるものとされたこと、これに基づいて、被告国は右公園事業の執行者として、本件遊歩道を設置したこと、この遊歩道は幅約一・五メートルで、両側には自然石を並べている砂利道であるが、地獄谷の景観を観察することができるように地獄谷の中を縦断しており、さらに右遊歩道を外れた別紙図面中の診療所跡付近とH地点付近の二箇所には野外卓ベンチが設置されていたこと(右の各場所に野外卓ベンチが設置されていたことは争いがない。)、湯溜まりIIは、前記認定のとおり、本件遊歩道から約三〇メートル下方に位置する天然の湯溜まりであり、地獄谷の中に位置するからその周辺は荒涼とした風景ではあるが、これらを含めて地獄谷として自然観察の対象とされていることがそれぞれ認められるから、これらの状況からすれば、地獄谷全体が「公の営造物」にあたるかどうかはさておき、少なくとも遊歩道及び本件湯溜まりIIを含むその周辺は、被告国によって自然観察、自然探勝のために不特定多数人の利用に供されていたものというべきであり、したがって「公の営造物」であるということができる。

(二) 設置及び管理の瑕疵について

(1) 国家賠償法二条にいう「瑕疵」とは営造物が通常備えるべき性質または設備を欠くことをいうものである。したがって、営造物管理者は、営造物の利用に伴って営造物利用者に一定の危険を及ぼす虞れがあると認められるときは、危険を防止するために必要な施設を設けなければならないが、これはおよそ想像しうるあらゆる危険の発生を防止しうる設備を要するものではなく、当該営造物の構造、用途、場所的環境、利用状況等諸般の事情を考慮して通常予想されうる危険の発生を防止するに足ると認められる程度のものであることを要し、かつこれを以て足るものというべきである。

原告らは、地獄谷のような観光地たる「営造物」の具備すべき安全性は、最も判断力の低い観光客を対象としたものでなければならないと主張するが、営造物の安全確保はひとり営造物管理者の危険防止施設の設置、管理によって図られるものではなく、営造物利用者の適正な利用と相まって初めて達しうるものであるから、営造物利用者においても相応の注意を払わなければならないと解するのが相当である。そして、地獄谷の利用者は、社会通念上独立して行動することの肯認される程度の能力を有する者及びこれらの者の保護を受けつつ行動する者であると考えられるから、営造物管理者としては右程度の能力を有する者を対象として通常予想される危険を防止しうる措置を講ずれば足りるというべきである。

(2) 前記認定のとおり、地獄谷一帯は至るところでガスが噴出しており、遊歩道を外れて下方を散策したりすると、死亡事故には至らないものの、ガス中毒等の症状に見舞われる危険が存在する。

ところが、本件遊歩道は砂利を敷き、縁に自然石を置いてある程度の道であるから、遊歩道を外れて歩くことは充分可能であり、また遊歩道を外れて歩くことが危険である旨の表示は、本件事故現場近くでは前記の木柱I、IIがあるにすぎず、しかもこれらの木柱はいずれも文字が薄れて判読しずらいばかりか、木柱Iは傾きかけていて、これが重大な警告を表示しているものであるとは考え難い代物であったといえる。また、仮にこの木柱の文字を読んだとしても、前記のような表示であれば、「危険」の内容が有毒ガスによるものであると理解するとは限らないから、表示の方法としても必ずしも意を尽くしたものとも考えられない。更に遊歩道外に卓ベンチが設置されていたことは、遊歩道の外に出ることを規制していないばかりか、あたかもこれを容認しているとも見られるものであり、事実、<証拠略>によれば、実際にも遊歩道を外れて散策等する観光客もまれでないことが認められる。

これらの事実を総合すれば、被告国は、地獄谷の利用者が遊歩道を外れて付近を散策することがないように、有毒ガスによる危険を明示したうえで遊歩道外を歩かないことを指示した表示を本件遊歩道に沿って適当な間隔で設置する等して危険を防止するべきであり、これを怠った点において公の営造物の「設置又は管理」に瑕疵があったというべきである。

(3) 次に、地獄谷の利用者が湯溜まりIIに入浴することの予見可能性について判断する。

前記認定のとおり、湯溜まりIIは本件遊歩道から逸れること約三二メートルで、しかも約一〇メートルも下がったところに位置していること、遊歩道から湯溜まりIIに行くには特段道らしきものはなく、ごろごろと転がっている石の上を行くこととなること、同湯溜まりは人的設備の施されていない文字どおりの湯溜まりであつて、湯の色は乳白色に濁っていて底が見えない状況であり、しかも水底から絶えずガスが噴出しているため、四箇所ほど水面が盛り上がって内部に対流が起こっていたこと、その周辺では卵の腐ったような硫化水素又は亜硫酸ガスによると思われる臭気が強かったこと等の状況に照らすと、湯溜まりIIが通常いうところの露天風呂の様相を呈していたとは到底言えないものである。

また、原告らは本件湯溜まりは旅行案内等にも露天風呂として紹介されていたから、一般にも温泉として知られていると主張する。<証拠略>によれば、後記旧フサジ山荘廃屋の辺りに地獄谷温泉と表示されている地図が存在すること、<証拠略>によれば、各種案内書で地獄谷内に地獄谷温泉があると紹介されていること、<証拠略>によれば、国土地理院作成の地図において湯溜まりIIの辺りに温泉・鉱泉のマークが記載されていることがそれぞれ認められるが、他方において、これらの地図や各種案内書も湯溜まりを露天風呂として利用できると紹介したものではなく、むしろ地獄谷の湯溜まりは底の状態が不明であり、有毒ガスが噴出しているので危険極まりないとか、地獄谷温泉は強烈な硫化水素泉で喉を刺激し呼吸困難になるから、噴気口の風下に長時間いることは危険であると警告されているのであり、また、証人佐伯喜代一の証言によれば、別紙図面の旧フサジ山荘廃屋と記された位置には、昭和二二年に建てられ同五〇年に移転した地獄谷温泉小屋の廃屋があるが、右地獄谷温泉小屋は、開設当時、日本最高所の温泉として評判になっていたことが認められるから、前記地図及び案内書に記載された地獄谷温泉とは地獄谷温泉小屋を意味するものと認められるところ、<証拠略>によれば湯溜まりIIは、地獄谷温泉小屋から一六〇メートルくらい離れた場所にあり、地獄谷温泉小屋(正確にはその廃屋)の付属設備としての露天風呂とみられる位置関係にはないことが認められる。これに、温泉とは一般にその地方の年平均気温より高い温度の水が湧き出る泉をいい(温泉法二条の定義によれば、温泉とは地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガスで、摂氏二五度以上の温度を有するか、溶存物質を規定量以上有するものをいう。)、また鉱泉とは一般に鉱物質またはガスを多量に含む泉をいうのであって、両者とも入浴に適しない泉をも包含する概念であることを併せ勘案すると、右地図や各種案内書の記載内容を考慮しても、通常人が前記状況にある湯溜まりIIを露天風呂として利用するであろうと考えることができない。

また、証人佐伯喜代一は、湯溜まりIIは昭和二二年以前から露天風呂として利用されており、昭和二三年くらいから同四〇年初め頃までに一般の人が湯溜まりIIに入浴するのを二、三〇回見たことがある、四〇年の初め以降は湯溜まりIIに入浴しようとする人は見たことがあったが、入浴しているところは見たことはない旨証言している。しかし、右証言にかかる事実は主として本件事故の二〇年以上も前の話であって、本件事故当時における湯溜まりIIの利用状況について述べられたものではないうえ、昭和一七年頃以降本件事故に至るまで湯溜まりIIに入浴したことによる死亡事故が発生した事実を認めるに足りる証拠がないことを考え併せると、本件事故の時点で湯溜まりIIに入浴することが通常予想される行動であると認めることはできない。

以上認定の事実に照らすと、被告国において、地獄谷の利用者が湯溜まりIIに入浴することは通常予見することのできないものというべきであり、他に湯溜まりIIに入浴することの予見可能性を根拠づける事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、地獄谷の利用者が湯溜まりIIに入浴することは通常予想することのできないものであるから、被告国は右危険を防止するに足りる設備を設置する必要はなく、湯溜まりIIの周囲に木柵を張りめぐらせたり、危険表示をしたり、警報機を設置するなどの措置を講じていなかったことをもって「設置又は管理」に瑕疵があったものということはできない。

(三) 次に、右(二)(2)認定の瑕疵と本件事故との因果関係について検討する。

前記のとおり、危険防止施設は通常予想される一定の危険発生を防止するために設置されるものであるから、危険防止施設が設置されていなかったり、あるいは有効に機能していなかった場合、右予想された一定の危険が発生すれば営造物管理者はこれについて責任を負うことを免れない。しかし、通常予想しえない危険が発生したときは、右危険は危険防止施設が設置されていなかったり、あるいは有効に機能していなかったことによって通常生ずべきものといえないから、両者の間に相当因果関係を認めることはできないというべきである。

これを本件についてみるに、英夫が湯溜まりIIに入浴したことにより死亡するに至ったものであることは前記二2において認定したとおりであり、しかも、過去に地獄谷内を散策することのみによってガスによって死亡しした例はなかっこと(前記三6)及び湯溜まりIIの周辺でかなり長時間救助に当たっていた他の人々には何ら障害が生じていないこと<証拠略>からすると、英夫が湯溜まりIIに入浴しなければ死亡しなかったであろうと推認することができるところ、地獄谷の利用者が湯溜まりIIに入浴することは通常予想することのできないものであるから、前記瑕疵と本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。

2 被告富山県、同立山町の責任について

以上認定したところによれば、被告国には前記認定の瑕疵があるが、右瑕疵と本件事故との間に因果関係はなく、したがって同被告に本件事故についての責任がないから、被告富山県、同立山町についてはその余の点について論ずるまでもなく、本件事故につき責任がないことが明らかである。

六 結論

以上の次第で、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅田登美子 古賀輝郎 山口浩司)

図面<省略>

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